しくじり受験日記①〜しっかり東大に落ちた話〜

しくじり受験日記

こんにちは!現役で大学受験に失敗してから、仮面浪人を成功させて、伸び伸び東大生をやっているかめれおんです!

僕自身が経験してきた浪人生活や大学生活を通して学んだことを伝えていきます!!

今回は僕の受験生生活を数回に分けて話していくシリーズ題して

しくじり受験日記

の第一弾です!!🎉

いつもの勉強関連の話をしていますが、今回は受験ストーリーです!

是非肩の力を抜いて読んでいただければと思います!

今日のラインナップはこちらです!

全てのはじまりは挫折

時は小学校時代に戻ります。あの時は母親の言われるがまま中学受験をしました。

自分なりに結構頑張り、親に怒られないようにするために塾の成績もしっかり上位を取り続けていました。

しかし結果は不合格。結局僕は第二志望の中学に進むことになりました。

親の言われるがままとはいえ、初めての挫折で当時は泣くほど悔しい想いをして、実際ひたすら泣いたのを覚えています。

幼いながらも本気で熱くなり、本気で悔しかったのです。

中学は中高一貫高校で、都内の私立大学の系属高校でした。

同級生の多くが受験をせずにそのまま系属の大学に進学する。そんな環境でした。

しかし、中学受験で失敗した自分は大学受験は絶対に合格したいとずっと思ってきました。

高校に上がり、高校1年生の夏休みから大学受験に向けて早速勉強を始めました。

順調だったはずの現役生生活

そうして、高校生活では常に先取りを意識して勉強を進めました。

ちょうど受験開始から1年前となる高校2年生のセンター試験同日体験では5教科7科目900点満点中694点(77.1%)とかなりの好スタートを切っていました。

その試験では化学では過去最高偏差値91を叩き出し、周りからは合格が確実視されていた記憶があります。

その後高校3年生で受けた東大模試では現役生ながらA判定を取り、実に順調に成績を伸ばしていたと言えました。

を迎えるまでは。

何かが狂い始めたセンター試験

そして迎えた直前の冬休み。

センター試験を目前に控えた僕は完全に油断していました。

「自分はもう逃げ切ったも同然だろう」

と。

大晦日はカラオケ、正月は初詣と直前期の生活は受験生のそれとは到底思えないような堕落ぶり。

友達とセンター試験の会場の下見という体で遊びにも行った記憶があります。

直前1週間こそ過去問を解いたものの、今思うと完全に舐めていたと思います。

結果は5教科7科目900点満点中782点(86.8%)

1年で100点も伸びなかったのです。ちなみにその時の東大理科2類の一次合格者平均が805点前後だったと思います。

センター試験を機に確実に流れが変わってしまったのです。

そして二次試験へ

センター試験でディスアドバンテージを追ってしまった自分。

しかし、心の中では「なんとかなる」と思っていました。

というのも東大は二次試験の比率が8割と非常に高く、センター試験では勝敗は分けないだろうと思っていたのです。

「得意の数学と化学で大きくリードして逃げ切れば良い」

そう思っていました。現にA判定を取った際の東大模試では数学・化学共に偏差値65程度で十分得意科目として戦えるものと言えました。

しかし迎えた本番。

その年は過去に例を見ないほど数学と化学が易化。化学に至っては形式も大幅に変化し、数学と化学ので大きくリードを取るには満点に近い点数を取る必要があるかなり自分にとって手厳しいセットでした。

完全に足元をすくわれてしまったのです。

そうして、嫌な予感だけを残し受験会場を後にした二次試験本番でした。

結果

合格発表の日。

嫌な予感だけはありましたが、

「大丈夫。高1からあれだけ準備してきただろ。きっと大丈夫だ。」

そう言い聞かせて、本郷キャンパスに赴き掲示板を見ました。

自分の番号はありませんでした。

その瞬間、全身が熱くなり脂汗が吹き出ました。「嘘だろ?」と思いもう一度掲示板を見に行きました。

しかし、無かったのです。

そのまま何も考えることができず、ふらふらと前を歩き、間違えて合格者が来る花道(応援部の人たちが作ってくれているもの)に来てしまいました。

逃げるようにその花道を抜け、そのままダッシュでキャンパスを後にしました。

2日後すぐに得点開示が届き、結果は550点満点中9点足らず不合格という結果でした。

なんとも踏ん切りのつかない結果です。30点も40点も離れていれば潔く諦めがつきますし、1点や2点であれば本気で悔しいと思えたでしょう。

しかし、9点差

この得点は僕を冷めさせるには十分すぎるくらい中途半端でした。

そして悔しく思うこともなく、とは言っても諦めきることもできず第二志望の大学に進学をするのでした。

その挫折は中学受験の時に味わったものとは正反対の冷めたものだったのです。

次回、「仮面浪人生が生まれた日」に続きます。

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